2014年12月11日木曜日

不良債の実態

九三年九月の中間期決算でも、それまでの懸命な不良債権償却にもかかわらず、都銀一一行の不良債権合計は九兆二四八五億円、長信銀と信託一〇行のそれは四兆四八五四億円、総計一三兆七三三九億円にもなっている。ちなみに、都銀のこの不良債権額は、本業の利益を示す業務純益の約八倍、長信銀・信託では約一五倍にもなっている。

しかし、これらの数字は、実は銀行がかなり恣意的に細工できるものである。たとえば、延滞債権を一度返済してもらってまたただちに貸付けた、というような操作をすれば、かたちのうえではそれは延滞債権ではなくなる。

また、事実上は経営が破綻していても、金利減免など銀行が救済策をとっている場合の債権も、経営破綻先債権に含まれていない。実際、先の不良債権の数字には、金利減免をおこなっている住宅専門金融機関への五兆円や系列ノンバンクに対する貸付は含まれていないのである。また対外債権の焦げ付きの問題もある。

だがここに、公表された不良債権と実態との距離をうかがい知ることができる格好の材料が登場した。市中銀行に対する日銀考査資料の流出という「不祥事」である。日銀が約六五〇の金融機関に対して二、三年に一度おこなう経営の細部にまでわたる調査は、当然に極秘事項である。

ところが、九三年一月には三菱銀行に対しておこなった九〇年の考査資料の一部が流出し、さらにぱ九三年一一月九日号の『エコノミスト』誌が、九三年一月一九日付の富士銀行に対する日銀考査資料をスッパ抜いたのである(「日銀考査で叱責された富士銀行」)。

2014年11月11日火曜日

公正な集中審理を行う意味

それよりも、審理の時間に限界があることを前提に、訴訟に関わるすべての人が必死で手続を進めるため、裁判そのものは遥かに速くなるのです。あとで紹介する模擬陪審裁判でも、実際には約三年かかった民事事件を、たった一日で評決までやってしまいました。

現在も「裁判の迅速化」は求められていますが、それを法律家の心がけだけに任せて、「なるべく速く済ませようよ」などと仲間同士でやっているようでは、裁判は迅速には進みません。ただ単に時間を区切る「計画審理」だけやっていても、迅速な裁判にはなりません。

陪審制によるメリットの第二は、集中審理を行う前提として、必然的にその準備のために徹底的な証拠開示制度が必要となることです。公正な集中審理を実現するには、証拠開示を徹底することが不可欠であって、今の日本でやっているような、限られた証拠だけで裁判をやることは許されません。

一般の人々が裁判に対して最も切実に求めるのは、「真実の究明」でしょう。しかし、真実究明を促進するのは、「誰が裁くか」の問題ではなく、「何か証拠か」の方が大きいのです。つまり、現実には、証拠如何で真相究明が進んだり進まなかったりするので、証拠をできるだけ早く徹底的に集める制度が必要になってきます。

そこで、後述のように、陪審制を導入する場合には、徹底した「証拠開示制度」、すなわち証拠をより広範に、早い段階で提出させる制度が必要不可欠となります。

2014年10月10日金曜日

黒い影と自浄能力

二信組に始まってコスモ・木津・兵庫銀行と、一応それまで世間で固有名詞を挙げて論じられてきた問題は片づいた。住専問題は残っていたが、実際のところ、六兆円を超える住専の不良債権が、快刀乱麻を断つがごとくに処理されると思っている人は少なかったかもしれない。日本的風上の下では、世間から批判されながらも、辛抱強く段階的に問題を処理していくべきだったようにも思う。私の立場から住専問題を総括すれば、実力不相応の問題に取り組んでしまった、解決を急ぎすぎた、という思いが残っている。

住専問題については、硬軟いろいろの解決方法があった。その中でも住専各社の破綻処理を前提としたドラスティックな結論に向かって、退路を断つたかたちで取り組んでしまったのは何故か。われわれの戦略眼の欠如もあっただろう。しかしこの頃、不良債権問題の解決手法について大変気がかりなことがあり、それが私の取組み方に大きな影響を与えたように思う。

それは今まで暗闇の中に潜んでいた暴力的なものが、バブルの崩壊に伴い、急激に顕在化してきたことである。九一年の証券・金融不祥事の頃にも、金融とヤミの世界との深い関係がうかがわれた。しかしまだ直接人の命をねらうところまでは行っていない。すなわち、そのような問題を是正するための自浄能力を金融界の内部に期待することもできた。実際、イトマン事件の成り行きなどを見ていると銀行経営者の行動に、自らの社会的地位をかけても区切りをつけようとの強い意志が感じられた。

しかし、バブルの崩壊がますます深刻になり、それぞれの立場で生き残りをかけて必死の努力が行われるようになると、今までには考えられないような事件が連続して起った。被害者が死亡に至った企業幹部に対する襲撃事件だけを取り上げても、九三年八月五日の阪和銀行副頭取射殺、九四年二月二十八日の富士写真フイルム専務刺殺、そしてもっとも衝撃的だったのは同年九月十四日の住友銀行名古屋支店長射殺事件であった。

2014年9月10日水曜日

臨床実験に対する倫理上のガイドライン

「ニュールンベルクの倫理綱領」は、第二次世界大戦中にドイツのナチスが行なった非人道的な人体実験によってユダヤ人たちが大量虐殺された事件の反省に立って、このような非人道的な人体実験が二度と行なわれないようにと、ニュールンベルク国際軍事裁判(一九四五一四六年)がその経験を生かして作成したものである。

「ニュールンベルクの倫理綱領」の第一条の冒頭には、「医学的研究においては、その被験者の自発的同意が本質的に絶対に必要である」と宣言されている。そして「医学的研究の対象とされている人から確定的な同意を受理する前に、研究の性質、期間、目的、実施方法や手段、被験者となったために起こりうると考えられるすべての不自由さや危険、健康や人格に対する影響について、医学的研究の対象とされている人は、知らされる必要がある」などと明記してある。

「ニュールンベルクの倫理綱領」は、医学的研究における被験者の人権保護を対象としたものであるが、同様な倫理的原則が、その後、診療を受ける患者や、新しい医療技術や治療法などの研究のために治療を兼ねて行なう臨床研究や、患者自身の病気の治療とは関係のない臨床研究の対象となる患者にも適用されていったのである。今から振り返っても、この倫理綱領はイッフォームドーコンセントの手本としては最適なものであったといえよう。

一九四八年には世界人権宣言が、一九六四年には第十八回世界医師会総会で「ヘルシンキ宣言(一九六四年)」が採択された。一九六六年にはアメリカ医師会から「臨床実験に対する倫理上のガイドライン」が出され、同年初めてアメリカ連邦政府は、政府から研究助成金を受けているヒトを対象として実施する研究はすべて「施設内研究審査委員会」(Institutional Review Board =IRB)によって、政府の定めた倫理基準ならびに法的規制に抵触しないことにつき審査されることを義務づけた。

一九七一年に、アメリカ連邦政府は、最初の公式なガイドラインとして「ヒトを対象とした実験に関するアメリカ合衆国ガイドライン」を制定、公布した。一九七三年には、アメリカ病院協会が、とくに、患者が必要な情報を医師から受ける権利とインフォームドーコンセントを与える権利など、患者の人権を明確にした「患者の権利章典に関するアメリカ病院協会声明」を出した。

2014年8月14日木曜日

小泉純一郎とベルルスコーニの違い

ここで長期政権を維持した、この二人のカリスマ的首相が残した業績の違いを比較するのは、重要なことだと思う。なぜなら、従来からあった疑問ではなく、今では新しい質問に変えなければならないからである。つまり「なぜ、日本とイタリアは、類似しているのか」ではなく、「なぜ、日本は成功し、イタリアは失敗したのか」である。

近年の日本における経済成長の成果を、すべて小泉元首相の功績に帰すことには賛成できない。しかし小泉氏は、官公庁の役割について斬新な改革を行ったこと、さらに一九九〇年代後半に、橋本政権が導入した金融改革や規制緩和を適切に遂行したことで成功を見ている。それに対しベルルスコー一二氏は、二〇〇一年から二〇〇六年の在任中、一つしか成功していない。それは、イタリアの労働市場を自由化し、労働者を短期にわたり安く臨時雇用することだった。日本が行った労働改革と類似しているが、彼は、失業率をわずかしか改善することができなかったのである。

それ以外は、失敗に帰している。ときには強力な利益団体に反対されたことがあったが、多くはイタリアの国家的繁栄のためでなく、自己の繁栄、なかでも彼が所有する巨大なメディア事業を維持することに、主軸を置いていたからだ。さらにベルルスコーニ氏は、イタリアの検察官から詐欺や賄賂、その他の犯罪で訴えられるのを避けようともしていた。

では、なぜ日本が政治や経済上の困難を克服したのに、イタリアは依然として停滞しているのだろうか。それはイタリア人が、気力や起業家精神に欠けているからではない。あるいは美術館の展示品に見られるような、美食や美酒をたしなみながら人生を享楽し、観光客を歓迎するからでもない。それ以外の事情があるのだ。

その答えの一つは、イタリアには深刻な政治的対立があるのに対し、日本の社会は融和していることである。日本の政治家には、しばし失望するような腐敗した劇的場面が見られることが多いが、イデオロギー上では深刻な対立はないようだ。むしろ日本の主要政党は、事実上お互いにきわめて類似しているのだ。過去、五~十年間、見せかけのパフォーマンスや演技が行われたが、実際は改革が必要であることについて、広く合意が見られたのである。

2014年7月21日月曜日

アメリカで生じたバブル経済の事例

食糧不足の時期に市場に任せていれば、食糧価格は急上昇して、低所得者を直撃して社会的コストも高まったであろう。この時期に規制の網の目をかいくぐって悪用すれば莫大な利得を得る機会が存在していたにもかかわらず、モラルハザードが一般化していたわけではない。少なくとも政府による強い規制と取締りは、批難されることはなかった。それは、社会状況に対応して食糧価格統制がある種の公共性を確実に満たしていたからである。

ところが食糧生産が増大すると状況は変わる。政府は、財政的制約から、農家所得を補償する価格で全てを買い取ることができなくなる。すると価格統制に穴が開いて自由取引市場が形成されてくる。日本の場合に当てはめると、自主流通米市場を思い浮かべればよいであろう。そうなると、農家は、より高い価格で売れる良質な生産品は市場で売ろうとし、自動的に政府が買い取ってくれる部分には質の悪い生産品を回すようになる。ここで、はじめてモラルハザードが本格的に発生する。もはや人々は、農家への所得補償を正当だとは考えない。

もちろん、この場合でも、単純に自由化すればよいということにはならない。日本のように兼業農家が多い場合、自由化の打撃を受けるのは専業農家であって、農外所得を持つ零細農家が残ってしまい、単純な自由化政策が必ずしも生産性の上昇に結びつかない可能性もあるからである。

八〇年代のアメリカで生じたバブル経済の事例である。アメリカでは一九三三年に設立された預金保険機構が主たる金融的セーフティーネットであるが、それに連結してレギュレーションという金利上限規制があった。金利を自由化すると弱小金融機関から潰れてしまうからである。ところが八〇年代に、証券会社がMMFという貯蓄性金融商品を出したり、CP(コマーシャル・ペーパ)の発行が盛んになったために、対抗上、預金金利の上限規制が取り払われた。

そのため弱小のS&L(土地住宅融資専門の貯蓄貸付組合)は、競争上、高金利で預金を集めざるをえず、また高金利を保証するためにハイリスクーハイリターンの投資に走った。投資家は、預金保険機構によって預金が保護されるのを悪用して、S&Lに資金を投じた。経営者も、預金保険機構による預金者保護に「安心」して投機的行動に走る。つまりここでモラルハザードが発生した。そのためバブル経済は一層進むことになったのである。

2014年7月7日月曜日

中央銀行の独立性

こうしたコンセンサスが形成されたのは、実際には一九七〇年代の大インフレという手痛い失敗を経てのことである。第二次大戦直後の時期は、ブレトンーウッズ体制と呼ばれた国際通貨制度の下にあり、通貨の価値は(少なくとも間接的に)金と結びつけられていた。すなわち、米国政府は、一オンスの金と三五ドルを交換すると保証していた。あわせて固定相場制がとられていたので、そのドルと、例えば円は、一ドル二六〇円という固定された交換比率を維持していた。それゆえ、一万二六〇〇円の価値は、一オンスの金のそれと等しいはずであった。

物価の逆数を通貨価値だ(物価が高いほど、通貨価値は低い)と考えると、物価の安定ということと通貨価値の安定ということは、基本的に同義である。しかし、金本位制やその遺制を引きずっていたブレトンーウッズ体制の下では、通貨の価値は金の価値というアッカー(固定的な支え)をもっており、金融政策によって積極的に通貨価値の安定を目指すという発想にはなりにくかったといえる。

しかし、戦後の米国ではインフレーションが進行したために、一九七〇年代を迎える頃には、ドルの実勢価値は、一オンス二五ドルの公定レートを明らかに下回る水準に下落し、そのレートでのドルの金への交換という米国政府の保証は虚構に過ぎないと誰もが思わざるを得ない状況に至る。実際、一九七一年に米国政府はドルと金との交換停止を宣言すること(ニクソンショック)になり、世界は、金というアンカーを失って、中央銀行の金融政策によってのみ通貨価値の安定を図らなければならない本当の「管理通貨制度」に移行する(それに伴って「変動相場制」にも移行した)。

完全な管理通貨制度の下では、中央銀行が物価安定へのコミットメントを強めること以外に、通貨価値の安定を維持する方策はない。こうした認識が徹底されておらず、そのことを実効的なものとする体制も欠いていたことが、一九七〇年代の大インフレを引き起こすことにつながったといえる。

この教訓から、世界的に中央銀行の独立性が高められる傾向にある。というのは、中央銀行の物価安定へのコミットメントを(国民からみて)信頼性のあるものにするためには、中央銀行の独立性が不可欠だからである。なお、ここでいう中央銀行の独立性とは、政治および政府の他の部門(とくに財政当局)からの独立性ということである。

2014年6月21日土曜日

閣外協力から自民単独へ

橋本内閣の二年半はまた、政党の合従連衡が一層進んだ時期でもあった。その点を、橋本内閣の連立の状況から解きほぐしていこう。橋本政権は三期にわかれる。村山内閣と同様、三党がそれぞれ閣僚を出す自社さ連立政権として発足した第一次橋本内閣。九六年一〇月の衆議院選挙後、自民党が単独で内閣を構成した第二次橋本内閣。第二次橋本内閣は社民、さきがけの両党が閣外協力に留まる連合政権となった。ついで、九七年九月、衆院で過半数を制した自民党が単独で内閣を組織し、社民、さきがけが閣外協力を解消した第二次橋本改造内閣。

注目されるのは第二期の、第二次橋本内閣前後の政治状況である。九六年一〇月の衆議院選挙で、自民党は過半数に達しなかった。他方、野党の新進党も負けた。これを機に、政界は再び流動化の様相を呈しはじめる。衆院選挙で、自民党は二八増の二三九、社民党は一四減の一五、さきがけは七減の二であった。

与党は、全体として改選議席数を上回ったものの、社民党とさきがけの減少分を自民党が吸収した形となった。九五年の参院選挙では、大きく議席を伸ばした新進党は四減の一五六であった。また、選挙直前に鳩山、菅らが結成した民主党は、五二を獲得した。つまり民意は引き続き、一党に過半数を与えずに連合政権を選択した。

選挙前から、社民党は、沖縄特別措置法問題などで自民党との軋蝶が重なったうえ、自社さ政権により、党の独自性が失われたことへの反省から、閣外協力に転じることを明らかにしていた。閣外協力はするが、「三年半前の姿に戻ることがないように」というのが土井社民党党首の橋本への注文であった。

こうした状況のもとで、自民党としては、社さとの閣外協力で当面、数を確保しつつも、他の選択肢を考えざるを得なくなった。社さとの協力関係は、参議院の与野党逆転を考えれば、継続すべきことは勿論であった。しかし、社さの閣外協力を得たとしても与党全体の議席は二五六と、各常任委員会の常任委員長ポストをとり、採決で多数を確保できる安定多数の二六五には遠かった。

2014年6月7日土曜日

大血管障害

近年急増してきたとはいえ、日本における糖尿病患者の虚血性心臓病死亡率は、欧米に比べると極めて低いレベルにあります。それでは日本人が虚血性心臓病に罹りにくいのかというと、そうではありません。日系ハワイ住民には非糖尿病者、糖尿病患者ともに心筋梗塞による死亡が、日本在住の同胞より極めて多いことから、人種要因よりむしろ食生活を中心とした後天的要因か虚血性心臓病発症に強く影響すると考えられています。

図目に示しますように、一九七〇~一九七八年の日系ハワイ住民の虚血性心臓病による死亡は五〇・五%にのぼり。白人の五三・八%と大差がありません。一九七九~一九八八年にはハワイ州における生活習慣改善運動の効果があらわれ、日系ハワイ住民三七・二%、白人三八・四%と大幅に減少していますか、それでも日本で生活している日本人の約二倍にのぽります。

糖尿病患者の虚血性心臓病の特徴は、胸痛のない狭心症が多いことです。心筋梗塞発症前に全く胸痛(狭心痛)を感じたことがなかったり、心筋梗塞発症時も胸痛がないことがしばしばあります。冠動脈そのものの状態は、多枝病変(左右の冠動脈の二ヶ所以上の部位に重症な動脈硬化が起こり、血管内腔が閉塞あるいは高度に狭窄している)が多いことが冠動脈造影によって確認されています。

糖尿病患者では脳梗塞の発症が非糖尿病者の二~六倍と多く、境界域の糖尿病であっても脳梗塞が高頻度に発症します。数年前より普及してきた磁気共鳴検査(MRI検査)による多数例の検討によると、糖尿病患者では全く無症状であるのに複数(多数)の小さい脳梗塞(ラクナ梗塞)がしばしば見つかります。

2014年5月23日金曜日

社会保障のリストラや介護保険の問題

社会保障は、私たちが自分自身を本当の意味で生かすために利用するものである。むろん、国がまったく手を差しのべてくれなければ、今の世の中で、いくら気概をもって臨んでも生き延びることはむずかしいだろう。しかし、健康保険も年金制度も、所詮は制度であって、私たちの生きがいの世話までしてくれるわけではないのだ。

快適な生活も重要だし、現時点ですばらしい福祉が完成しているわけでもない。再三述べたように、国の抱える財政難も重要課題だ。はっきりいって、国が頼りになると思う人は少ないだろう。少し前までは、北欧の高福祉社会で、人々が意外に税金の高さを嘆かなかったが、それはいもおうの見返りがあったからである。今の日本で、社会保障のリストラや介護保険が問題になっても、多くの国民の心情は「重要性はよくわかった。でも、これ以上、税金や年金、介護保険の支払いといった負担はしたくない」であろう。それだけ、政府に信用かないとも解釈できる。

今後の社会状況を見極めれば、老後の人生をすべて国だけに頼るのも心もとないし、かといって自助努力だけで生き抜けるのもごく限られた人にすぎない。だから、さまざまな形で自分の老後を支える支点をもちたい。それは、単に経済的な問題だけではなく、精神面や健康の維持についても当てはまることである。経済的に豊かなら、物質面の快適性はある程度保てるだろう、しかし、人が生き続けるには、月並みな表現だが、希望がなくてはいけない。

老後の生活について、ある日突然考え始めても、よい知恵が生まれるものではない。むしろ、働き盛りの時代に自分の一生の見取り図を思い描き、晩年をシミュレーションすることから手をつけておきたいものだ。充実した人生の後にこそ、充実した晩年がある。大切なのは、一般的には「健康」と「生きがい」である。なにか没頭できるものを、若いうちから見つけておきたい。意外に趣味の類いは付け焼き刃では楽しめる境地に達しにくいからだ。

2014年5月2日金曜日

証券化がもたらした余波

さて、金融の証券化の趨勢は米国において①農業債権の証券化への動き、②銀行側の非ローン・コミットメント額の増大、③銀行サークルからの各種リスクの溢出危険の拡大などの証券化の余波というべきものが発生してきている。

①は農業不況による農家の金融機関担保借入過大の救済策としての産業構造転換金融の一面もあり、②は近年銀行において急増しつつある偶発債務保証業務の趨勢であって、証券化の裏側の真実ともいうべき現象である。

つまり現実の資金調達は、証券化の進展によって多様化・複層化しつつあるが、貸付予約または短期または中長期証券発行のバックアップファイナンスである。

たとえばCP発行にともなう支払い保証枠の増大、スタンドーバイ信用状発行、各種先物取引銀行保証枠の拡大などの支払い承諾見返り勘定または簿外保証額(オフーバランス保証)の増大である。

これは銀行側にとっても総資産を膨らませることなく総資産収益率をあげうることであり、企業にとっても調達の多様化を確保しつつ、手許流動性節減、負債比率引下げなどが効果的に実現できることとなる。

③は証券化の進展によって、金融機関は次第にハイリスク・ハイリターン業務に近づきつつあるともいえる現象である。たとえばローンのサブパート、多種短期クレジット・ファシリティの拡大によって、求償権の移転または非移転の可能性のいかんによっては銀行の被求償権または偶発債務の拡大が増大する事態も起こりうるからである。

銀行間同士での偶発債務の交換・移転なら、いわばリスク回避のプロフェッショナルによるリスク・マネージメントの巧拙の問題ですむ場合といえる。しかし、証券化の本質は、さまざまなリスクの一般投資家または国民全般への拡散であるともいえるのである。

たんに市場効率化なり金融の自由化・国際化の趨勢だということで、一元的に証券化を推進することが絶対的善であるといえるか否かは、金融市場の秩序維持という鏡の裏の反面真理とのバランスが失せぬよう戒心の姿勢も必要かもしれない。

2014年4月17日木曜日

自分自身に愚痴をこぼす

後悔し、反省し、同じ過ちを繰り返さないよう、今後につなげて行くことは、いいことではないか。愚痴は、自分自身を聞き手にして、たっぷりこぼしなさい。愚痴にもいろいろあるが、自分の欠点を見つけだして、自分自身に愚痴をこぼすことは、いいことではないか。世の中はわからないことだらけ。先の見えないことだらけである。それでも時により場合により、決断を下さなければならないこともある。だが、優柔不断でいた方がいい場合もある。

男であれ女であれ、人は突っ張らなければならないこともある。だが、見栄や言葉に翻弄されることはない。私はこれまでも後悔を繰り返し、愚痴をこぼしこぼし生きて来たが、このまま残り少ない人生を、後悔しながらこぽしながら終えるつもりでいる。それでいい、というより、その方がいい、と思っている。

私か後悔していることの一つに、戦争中かなり自閉的であったということがある。あの時期には、非国民だという糾弾を避けるために、寡黙になり、自閉的になるのは、当然だとも言えよう。そういった自己弁護もできるかもしれない。けれども私は、私かもし本心を口にしたら、殴りかかって来たかもしれないような人たちとも、私がもっと利口であれば、もっと巧みに、もっと親しく付き合えたのではないか、と後悔している。

軍隊で、自閉的であったために、あやうく命を落とすところであった。私は兵隊にとられて南方へ送られたが、私たちはなぜか地下足袋を持たされた。下級兵士は、トビも大工もやらされるし、トビをやらされるときには地下足袋は重宝である。その地下足袋を、私は独断で、雲南の戦場で山を歩くのに使ったのであった。革靴より地下足袋の方が軽いから、その分足の負担も軽かろう、と単純に独断したのだが、大失敗であった。

地下足袋は濡れた山肌では滑るし、革靴より消耗するのである。それで真っ先に私は倒れたが、戦場での疲労困懲はしばしば命取りになる。人に相談すれば、あんなことにならなかっただろうに、と私は後悔している。お前は阿呆だな。私は自分に自分の阿呆さ加減をこぼしている。