2014年10月10日金曜日

黒い影と自浄能力

二信組に始まってコスモ・木津・兵庫銀行と、一応それまで世間で固有名詞を挙げて論じられてきた問題は片づいた。住専問題は残っていたが、実際のところ、六兆円を超える住専の不良債権が、快刀乱麻を断つがごとくに処理されると思っている人は少なかったかもしれない。日本的風上の下では、世間から批判されながらも、辛抱強く段階的に問題を処理していくべきだったようにも思う。私の立場から住専問題を総括すれば、実力不相応の問題に取り組んでしまった、解決を急ぎすぎた、という思いが残っている。

住専問題については、硬軟いろいろの解決方法があった。その中でも住専各社の破綻処理を前提としたドラスティックな結論に向かって、退路を断つたかたちで取り組んでしまったのは何故か。われわれの戦略眼の欠如もあっただろう。しかしこの頃、不良債権問題の解決手法について大変気がかりなことがあり、それが私の取組み方に大きな影響を与えたように思う。

それは今まで暗闇の中に潜んでいた暴力的なものが、バブルの崩壊に伴い、急激に顕在化してきたことである。九一年の証券・金融不祥事の頃にも、金融とヤミの世界との深い関係がうかがわれた。しかしまだ直接人の命をねらうところまでは行っていない。すなわち、そのような問題を是正するための自浄能力を金融界の内部に期待することもできた。実際、イトマン事件の成り行きなどを見ていると銀行経営者の行動に、自らの社会的地位をかけても区切りをつけようとの強い意志が感じられた。

しかし、バブルの崩壊がますます深刻になり、それぞれの立場で生き残りをかけて必死の努力が行われるようになると、今までには考えられないような事件が連続して起った。被害者が死亡に至った企業幹部に対する襲撃事件だけを取り上げても、九三年八月五日の阪和銀行副頭取射殺、九四年二月二十八日の富士写真フイルム専務刺殺、そしてもっとも衝撃的だったのは同年九月十四日の住友銀行名古屋支店長射殺事件であった。