2014年4月17日木曜日

自分自身に愚痴をこぼす

後悔し、反省し、同じ過ちを繰り返さないよう、今後につなげて行くことは、いいことではないか。愚痴は、自分自身を聞き手にして、たっぷりこぼしなさい。愚痴にもいろいろあるが、自分の欠点を見つけだして、自分自身に愚痴をこぼすことは、いいことではないか。世の中はわからないことだらけ。先の見えないことだらけである。それでも時により場合により、決断を下さなければならないこともある。だが、優柔不断でいた方がいい場合もある。

男であれ女であれ、人は突っ張らなければならないこともある。だが、見栄や言葉に翻弄されることはない。私はこれまでも後悔を繰り返し、愚痴をこぼしこぼし生きて来たが、このまま残り少ない人生を、後悔しながらこぽしながら終えるつもりでいる。それでいい、というより、その方がいい、と思っている。

私か後悔していることの一つに、戦争中かなり自閉的であったということがある。あの時期には、非国民だという糾弾を避けるために、寡黙になり、自閉的になるのは、当然だとも言えよう。そういった自己弁護もできるかもしれない。けれども私は、私かもし本心を口にしたら、殴りかかって来たかもしれないような人たちとも、私がもっと利口であれば、もっと巧みに、もっと親しく付き合えたのではないか、と後悔している。

軍隊で、自閉的であったために、あやうく命を落とすところであった。私は兵隊にとられて南方へ送られたが、私たちはなぜか地下足袋を持たされた。下級兵士は、トビも大工もやらされるし、トビをやらされるときには地下足袋は重宝である。その地下足袋を、私は独断で、雲南の戦場で山を歩くのに使ったのであった。革靴より地下足袋の方が軽いから、その分足の負担も軽かろう、と単純に独断したのだが、大失敗であった。

地下足袋は濡れた山肌では滑るし、革靴より消耗するのである。それで真っ先に私は倒れたが、戦場での疲労困懲はしばしば命取りになる。人に相談すれば、あんなことにならなかっただろうに、と私は後悔している。お前は阿呆だな。私は自分に自分の阿呆さ加減をこぼしている。