2014年7月21日月曜日

アメリカで生じたバブル経済の事例

食糧不足の時期に市場に任せていれば、食糧価格は急上昇して、低所得者を直撃して社会的コストも高まったであろう。この時期に規制の網の目をかいくぐって悪用すれば莫大な利得を得る機会が存在していたにもかかわらず、モラルハザードが一般化していたわけではない。少なくとも政府による強い規制と取締りは、批難されることはなかった。それは、社会状況に対応して食糧価格統制がある種の公共性を確実に満たしていたからである。

ところが食糧生産が増大すると状況は変わる。政府は、財政的制約から、農家所得を補償する価格で全てを買い取ることができなくなる。すると価格統制に穴が開いて自由取引市場が形成されてくる。日本の場合に当てはめると、自主流通米市場を思い浮かべればよいであろう。そうなると、農家は、より高い価格で売れる良質な生産品は市場で売ろうとし、自動的に政府が買い取ってくれる部分には質の悪い生産品を回すようになる。ここで、はじめてモラルハザードが本格的に発生する。もはや人々は、農家への所得補償を正当だとは考えない。

もちろん、この場合でも、単純に自由化すればよいということにはならない。日本のように兼業農家が多い場合、自由化の打撃を受けるのは専業農家であって、農外所得を持つ零細農家が残ってしまい、単純な自由化政策が必ずしも生産性の上昇に結びつかない可能性もあるからである。

八〇年代のアメリカで生じたバブル経済の事例である。アメリカでは一九三三年に設立された預金保険機構が主たる金融的セーフティーネットであるが、それに連結してレギュレーションという金利上限規制があった。金利を自由化すると弱小金融機関から潰れてしまうからである。ところが八〇年代に、証券会社がMMFという貯蓄性金融商品を出したり、CP(コマーシャル・ペーパ)の発行が盛んになったために、対抗上、預金金利の上限規制が取り払われた。

そのため弱小のS&L(土地住宅融資専門の貯蓄貸付組合)は、競争上、高金利で預金を集めざるをえず、また高金利を保証するためにハイリスクーハイリターンの投資に走った。投資家は、預金保険機構によって預金が保護されるのを悪用して、S&Lに資金を投じた。経営者も、預金保険機構による預金者保護に「安心」して投機的行動に走る。つまりここでモラルハザードが発生した。そのためバブル経済は一層進むことになったのである。

2014年7月7日月曜日

中央銀行の独立性

こうしたコンセンサスが形成されたのは、実際には一九七〇年代の大インフレという手痛い失敗を経てのことである。第二次大戦直後の時期は、ブレトンーウッズ体制と呼ばれた国際通貨制度の下にあり、通貨の価値は(少なくとも間接的に)金と結びつけられていた。すなわち、米国政府は、一オンスの金と三五ドルを交換すると保証していた。あわせて固定相場制がとられていたので、そのドルと、例えば円は、一ドル二六〇円という固定された交換比率を維持していた。それゆえ、一万二六〇〇円の価値は、一オンスの金のそれと等しいはずであった。

物価の逆数を通貨価値だ(物価が高いほど、通貨価値は低い)と考えると、物価の安定ということと通貨価値の安定ということは、基本的に同義である。しかし、金本位制やその遺制を引きずっていたブレトンーウッズ体制の下では、通貨の価値は金の価値というアッカー(固定的な支え)をもっており、金融政策によって積極的に通貨価値の安定を目指すという発想にはなりにくかったといえる。

しかし、戦後の米国ではインフレーションが進行したために、一九七〇年代を迎える頃には、ドルの実勢価値は、一オンス二五ドルの公定レートを明らかに下回る水準に下落し、そのレートでのドルの金への交換という米国政府の保証は虚構に過ぎないと誰もが思わざるを得ない状況に至る。実際、一九七一年に米国政府はドルと金との交換停止を宣言すること(ニクソンショック)になり、世界は、金というアンカーを失って、中央銀行の金融政策によってのみ通貨価値の安定を図らなければならない本当の「管理通貨制度」に移行する(それに伴って「変動相場制」にも移行した)。

完全な管理通貨制度の下では、中央銀行が物価安定へのコミットメントを強めること以外に、通貨価値の安定を維持する方策はない。こうした認識が徹底されておらず、そのことを実効的なものとする体制も欠いていたことが、一九七〇年代の大インフレを引き起こすことにつながったといえる。

この教訓から、世界的に中央銀行の独立性が高められる傾向にある。というのは、中央銀行の物価安定へのコミットメントを(国民からみて)信頼性のあるものにするためには、中央銀行の独立性が不可欠だからである。なお、ここでいう中央銀行の独立性とは、政治および政府の他の部門(とくに財政当局)からの独立性ということである。