2015年4月10日金曜日

プロジェクト方式

現在のところ長期総合計画の中で、これらの欠点のすべてを是正してゆくことは、できそうもない。国との関係でも、自治体の主体性を認めた制度になっていないし、また社会経済の変動を的確につかむことも、困難だからである。このような長期総合計画は、せいぜい自治体行政の座標軸や物指していどの意味しかもちえないだろう。つまり動的なエネルギーをもつ計画ではなく、静的な尺度的な意味のほうが強い。こうしたものが無用とはいわないが、当時の横浜市のような、重症患者には効果が少ないのである。

そこで、このような長期総合計画を少しばかりいじくるという姑息な手段をやめ、ぜんぜん別な観点から、横浜の現在の問題に立ち向かう方法を考えた。それがプロジェクト方式と呼ばれるものである。これは横浜の将来を見越して、戦略的な視点に立ち、特定の基幹的事業を選びだし、重点的に推行することによって、横浜市の内臓や骨格をととのえ、焦点をしぼりながら、しだいに他の行政全体にも活力を与え、横浜の都市づくりを行なってゆこうというものである。

この当時の自治体行政は、無力感とマンネリズムが先立ち、タテ割りの型にはまった行政では、少々がんばってみてもなかなかこれを変えることはできないでいた。そこで、戦略的にはまちがいないという大局をおさえなから、あえて従来行政の枠をこえる困難な大プロジェクトをおこし、かなり荒っぽく活力を呼びおこして問題にぶつかろうという戦略である。

自治体は「いかにあるべきか」「なにをすべきか」という[べき論]も必要だが、それだけでは評論に終わってしまい、現実の中の力にはなりにくい。かといって、「現状はこれしかできないのだから」「予算も権限もない」という現実論にとどまっているままでは、なにひとつ問題は解決しないし、解決に向かって動きださない。

総合計画的なものは、たいてい総論は[べき論]だが、事業計画になると「現実論」にとどまっている。理念に到達する手段をもたないので「べき論」、「理念論」は、残念ながら、たんなる抽象的文章で終わってしまうことが多い。これに対して「プロジェクト方式」は、きわめて具体的であり、誰にとってもきわめて明白であり分りやすい。そこでは、「やる」か「やらない」かの、実務的な問題にたる。またどうやるかという具体的な方法の是非が問題になり、抽象的観念的な議論にとどまることはできない。当事者をいやでも具体的な土俵の上に立たせてしまうのである。