2012年12月25日火曜日

一九世紀西欧の女性観

それは生命というものが、人々の心身の内側から、陰陽のバランスが良好な状態の時に、あふれ出てくるものであるという東洋医学的宇宙観に基づいている。したがって、「さわり」があればバランスはくずれ、身体のどこかに異変を生じ、生命が日々こんこんとあふれて来る状態を維持することはできないとみなした。そこで、自分自身の内に日々あふれる生命を大切に養うような生活を送ること、つまり「養生」こそが人々の健康作りの基本思想とされてきたのであった。

このように近代西洋医学が導入される以前の人々は、病気になるとくるったバランスを回復させ、健康な身体にもどすためにおはらいをし、鍼灸や薬草の力を借りて健康維持を図っていた。ところが科学的実証をもととした近代西洋医学では、悪いのは病気を起こす病原性細菌であり、そのため人体に外から細菌が侵入するのを防ぎ(予防)、細菌を薬によって殺し(殺菌)、細菌が出した毒を消し(消毒)、毒におかされた部分を切除(手術)すれば生命を衛(守)る(「衛生」)ことができると考えた。つまり、心も身体も真の対象ではなくなり、細菌におかされた身体の患部だけが治療上、大切な対象物となったのである。こうしてこれ以後、病気治療において「心」の存在の重さは無視されるようになり、現代に至っている。

また「養生」思想では、各自が身体の持ち主で、その癒しの主体者であったが、「衛生」観念においては、そのための正統な技術や知識を持った専門家(例えば医者など)に自分の身体を衛ってもらわねば、素人(病人)にはわからないものとなり、病人は自分の身体でありながら、病気の間は専門家(医者)に身体(の患部)を任せて、口出しせず治してもらうべき存在になったのである。つまり、病気やお産など身体に起きる現象においては、ここから個人の受身の時代が始まったのである。

細菌学の目をみはるような発見と、それに対する治療上の進歩は、近代医学的治療の必要な病気に大きな恩恵を与え、それらの病気の克服に目ざましい成果を残した。しかし、それ以外の、近代西洋医学的方法では治らない病気や、身体に関する生理的変化(例えば、心の病いとか体質の問題、慢性病、また、出産や加齢など)になやむ人々にとって、成果は期待できなかつた。

ストレスの問題は、一九六〇年代に入るまで無視された。さらにアトピー性皮膚炎などアレルギー性疾患の究明も、まだスタート台についたばかりの状態で、本来の意味の「治療」などという段階には至っていない。さらに終末期ヶア、高齢者の健康のあり方など、どれをとってもほとんどが無策、という現状を作り出した。

さて、明治の日本があこがれだのはヨーロッパの医療事情だけではない。当時の西欧のすべてがキラキラと感じられたのである。それらのうち、私たちの暮らしに大きな影響力を残したものに、男女の身の処し方(「男らしさ、女らしさしがあった。明治初期、留学や視察によって、西欧に渡った為政者たちが目にしたのは、それまでの武士の中心思想であった儒教思想の中で、とかく「能なし」とみなしていた女性たちが、良妻賢母として家の中だけではあったが、しっかりと子どもを教育し、一家をきりもりしている姿であった。