2014年7月7日月曜日

中央銀行の独立性

こうしたコンセンサスが形成されたのは、実際には一九七〇年代の大インフレという手痛い失敗を経てのことである。第二次大戦直後の時期は、ブレトンーウッズ体制と呼ばれた国際通貨制度の下にあり、通貨の価値は(少なくとも間接的に)金と結びつけられていた。すなわち、米国政府は、一オンスの金と三五ドルを交換すると保証していた。あわせて固定相場制がとられていたので、そのドルと、例えば円は、一ドル二六〇円という固定された交換比率を維持していた。それゆえ、一万二六〇〇円の価値は、一オンスの金のそれと等しいはずであった。

物価の逆数を通貨価値だ(物価が高いほど、通貨価値は低い)と考えると、物価の安定ということと通貨価値の安定ということは、基本的に同義である。しかし、金本位制やその遺制を引きずっていたブレトンーウッズ体制の下では、通貨の価値は金の価値というアッカー(固定的な支え)をもっており、金融政策によって積極的に通貨価値の安定を目指すという発想にはなりにくかったといえる。

しかし、戦後の米国ではインフレーションが進行したために、一九七〇年代を迎える頃には、ドルの実勢価値は、一オンス二五ドルの公定レートを明らかに下回る水準に下落し、そのレートでのドルの金への交換という米国政府の保証は虚構に過ぎないと誰もが思わざるを得ない状況に至る。実際、一九七一年に米国政府はドルと金との交換停止を宣言すること(ニクソンショック)になり、世界は、金というアンカーを失って、中央銀行の金融政策によってのみ通貨価値の安定を図らなければならない本当の「管理通貨制度」に移行する(それに伴って「変動相場制」にも移行した)。

完全な管理通貨制度の下では、中央銀行が物価安定へのコミットメントを強めること以外に、通貨価値の安定を維持する方策はない。こうした認識が徹底されておらず、そのことを実効的なものとする体制も欠いていたことが、一九七〇年代の大インフレを引き起こすことにつながったといえる。

この教訓から、世界的に中央銀行の独立性が高められる傾向にある。というのは、中央銀行の物価安定へのコミットメントを(国民からみて)信頼性のあるものにするためには、中央銀行の独立性が不可欠だからである。なお、ここでいう中央銀行の独立性とは、政治および政府の他の部門(とくに財政当局)からの独立性ということである。