2014年8月14日木曜日

小泉純一郎とベルルスコーニの違い

ここで長期政権を維持した、この二人のカリスマ的首相が残した業績の違いを比較するのは、重要なことだと思う。なぜなら、従来からあった疑問ではなく、今では新しい質問に変えなければならないからである。つまり「なぜ、日本とイタリアは、類似しているのか」ではなく、「なぜ、日本は成功し、イタリアは失敗したのか」である。

近年の日本における経済成長の成果を、すべて小泉元首相の功績に帰すことには賛成できない。しかし小泉氏は、官公庁の役割について斬新な改革を行ったこと、さらに一九九〇年代後半に、橋本政権が導入した金融改革や規制緩和を適切に遂行したことで成功を見ている。それに対しベルルスコー一二氏は、二〇〇一年から二〇〇六年の在任中、一つしか成功していない。それは、イタリアの労働市場を自由化し、労働者を短期にわたり安く臨時雇用することだった。日本が行った労働改革と類似しているが、彼は、失業率をわずかしか改善することができなかったのである。

それ以外は、失敗に帰している。ときには強力な利益団体に反対されたことがあったが、多くはイタリアの国家的繁栄のためでなく、自己の繁栄、なかでも彼が所有する巨大なメディア事業を維持することに、主軸を置いていたからだ。さらにベルルスコーニ氏は、イタリアの検察官から詐欺や賄賂、その他の犯罪で訴えられるのを避けようともしていた。

では、なぜ日本が政治や経済上の困難を克服したのに、イタリアは依然として停滞しているのだろうか。それはイタリア人が、気力や起業家精神に欠けているからではない。あるいは美術館の展示品に見られるような、美食や美酒をたしなみながら人生を享楽し、観光客を歓迎するからでもない。それ以外の事情があるのだ。

その答えの一つは、イタリアには深刻な政治的対立があるのに対し、日本の社会は融和していることである。日本の政治家には、しばし失望するような腐敗した劇的場面が見られることが多いが、イデオロギー上では深刻な対立はないようだ。むしろ日本の主要政党は、事実上お互いにきわめて類似しているのだ。過去、五~十年間、見せかけのパフォーマンスや演技が行われたが、実際は改革が必要であることについて、広く合意が見られたのである。