2014年5月23日金曜日

社会保障のリストラや介護保険の問題

社会保障は、私たちが自分自身を本当の意味で生かすために利用するものである。むろん、国がまったく手を差しのべてくれなければ、今の世の中で、いくら気概をもって臨んでも生き延びることはむずかしいだろう。しかし、健康保険も年金制度も、所詮は制度であって、私たちの生きがいの世話までしてくれるわけではないのだ。

快適な生活も重要だし、現時点ですばらしい福祉が完成しているわけでもない。再三述べたように、国の抱える財政難も重要課題だ。はっきりいって、国が頼りになると思う人は少ないだろう。少し前までは、北欧の高福祉社会で、人々が意外に税金の高さを嘆かなかったが、それはいもおうの見返りがあったからである。今の日本で、社会保障のリストラや介護保険が問題になっても、多くの国民の心情は「重要性はよくわかった。でも、これ以上、税金や年金、介護保険の支払いといった負担はしたくない」であろう。それだけ、政府に信用かないとも解釈できる。

今後の社会状況を見極めれば、老後の人生をすべて国だけに頼るのも心もとないし、かといって自助努力だけで生き抜けるのもごく限られた人にすぎない。だから、さまざまな形で自分の老後を支える支点をもちたい。それは、単に経済的な問題だけではなく、精神面や健康の維持についても当てはまることである。経済的に豊かなら、物質面の快適性はある程度保てるだろう、しかし、人が生き続けるには、月並みな表現だが、希望がなくてはいけない。

老後の生活について、ある日突然考え始めても、よい知恵が生まれるものではない。むしろ、働き盛りの時代に自分の一生の見取り図を思い描き、晩年をシミュレーションすることから手をつけておきたいものだ。充実した人生の後にこそ、充実した晩年がある。大切なのは、一般的には「健康」と「生きがい」である。なにか没頭できるものを、若いうちから見つけておきたい。意外に趣味の類いは付け焼き刃では楽しめる境地に達しにくいからだ。

2014年5月2日金曜日

証券化がもたらした余波

さて、金融の証券化の趨勢は米国において①農業債権の証券化への動き、②銀行側の非ローン・コミットメント額の増大、③銀行サークルからの各種リスクの溢出危険の拡大などの証券化の余波というべきものが発生してきている。

①は農業不況による農家の金融機関担保借入過大の救済策としての産業構造転換金融の一面もあり、②は近年銀行において急増しつつある偶発債務保証業務の趨勢であって、証券化の裏側の真実ともいうべき現象である。

つまり現実の資金調達は、証券化の進展によって多様化・複層化しつつあるが、貸付予約または短期または中長期証券発行のバックアップファイナンスである。

たとえばCP発行にともなう支払い保証枠の増大、スタンドーバイ信用状発行、各種先物取引銀行保証枠の拡大などの支払い承諾見返り勘定または簿外保証額(オフーバランス保証)の増大である。

これは銀行側にとっても総資産を膨らませることなく総資産収益率をあげうることであり、企業にとっても調達の多様化を確保しつつ、手許流動性節減、負債比率引下げなどが効果的に実現できることとなる。

③は証券化の進展によって、金融機関は次第にハイリスク・ハイリターン業務に近づきつつあるともいえる現象である。たとえばローンのサブパート、多種短期クレジット・ファシリティの拡大によって、求償権の移転または非移転の可能性のいかんによっては銀行の被求償権または偶発債務の拡大が増大する事態も起こりうるからである。

銀行間同士での偶発債務の交換・移転なら、いわばリスク回避のプロフェッショナルによるリスク・マネージメントの巧拙の問題ですむ場合といえる。しかし、証券化の本質は、さまざまなリスクの一般投資家または国民全般への拡散であるともいえるのである。

たんに市場効率化なり金融の自由化・国際化の趨勢だということで、一元的に証券化を推進することが絶対的善であるといえるか否かは、金融市場の秩序維持という鏡の裏の反面真理とのバランスが失せぬよう戒心の姿勢も必要かもしれない。