2015年9月10日木曜日

園内道路の蓋がけ工事

世論から大きな支持を得た緩傾斜護岸は、以後、隅田川の護岸方針になり、現在進められている「水辺のテラス構想」につながっている。当初、チマチマした箱庭のようにつくられていたテラスも、最近では土木空間にふさわしいゆったりした空間デザインに変わっている。しかしよい面ばかりではない。隅田公園といい垂直護岸といい、何かの事業がおこなわれる度に隅田川の川幅は狭められてきた。いままた緩傾斜護岸、水辺のプロムナードといわれながら、隅田川の川幅は狭められている。両岸に高層の建物が建ち並ぶとともに、隅田川のもっていた空間の広さや雄大さが失われてきている。

桜橋の墨田区側の快では、アプローチを遮断していた園内道路の蓋がけ工事がなされ、橋と隅田公園とが一体的に利用できるようになった。考え方は評価できるが、すぐ上には高架道路が走り、頭上がおさえつけられるような感じである。いっそのこと高架道路を地下化する方が、二一世紀に大きな財産を残せるのではないかと思う。全部は無理としても、吾妻橋の快から隅田公園部分までは地下化したいものだ。一〇年間四三〇兆円の公共事業費は、有意義に使ってもらいたいと思う。今回の蓋がけ工事はその布石と考えたい。

山下公園も、一見したところ大きく変わった。まずそれは公園内を通る臨港貨物線の高架鉄道である。道路と鉄道と機能は違うが、隅田・山下両公園ともに高架構造物が戦後つくられたのである。しかし臨港貨物線の方が望みがある。横浜博覧会のときに一時利用されたが、現在は廃線になっているので、撤去される日も近いのではなかろうか。

海側部分も大きく変えられた。公園の四分の一の地先が、埋め立てられ、港の眺望が大きく失われた。それでも公園の面積は昔と同じである。一時期公園の東側は下水道局のポンプ場になっていたが、現在は地下化され、地上部は駐車場になっている。その上を公園がおおい、平面的な公園に立面的な変化をもたせている。

配置計画で大きく変わっだのは、ボート溜りをふくむ東半分であり、西半分は当初の配置形態かほぼそのまま残されている。海上からもアプローチできた魅力的な公園は。今もなおその痕跡をとどめ、バルコニーは健在である。しかし残っているのは二力所だけ。東側のバルコニーは、地先部分の埋め立てとともに陸続きにされてしまい、残された縁石だけががっての存在を物語っている。

もうひとつの特徴であったボート溜りは、戦後埋め立てられ、現在は周りより一段低いシングーガーデン(沈床花壇)に変えられてしまった。中央の噴水の位置は変わらぬが、設備は更新され、姉妹都市のサンディエゴから贈られた「水の守護神」の石像がまん中に飾られている。うれしかったのは、噴水の両側の大パーゴラが健在だったことだ。しかもスクラッチータイルの貼られた柱や、煉瓦の敷き詰められた路面も、昔のままなのである。