ここで新しく考えた独自の手法が三つある。その第一は、商業地域内における住居容積を制限しようというものである。商業地域とは本来、商店、デパート、業務用のビルなどを建てることを予定して定める地域である。したがって容積率も高く、最低でも四〇〇χ、最高は1000%ということになっている。一般には駅に近い便利なところを商業地域に指定しているが、横浜のように東京に近く便利なところでは、本来横浜市にとって必要な業務ビルや商業施設は建たず、そのかわりに東京向けのマンションが立地することが多い。
こうしたマンションが四〇〇%とか、六〇〇%とかの密度で建つと、じつにたいへんなことになる。住宅相互の日照が確保されないのはとうぜんだが、子供たちの遊び場もとれない。がりに五〇〇%の住居が建つということは、大体それと同じ面積ぐらいの小、中学校が必要ということになり、マンションと学校とが交互に建っていなければならなくなるだろう。それにしては、商業用地のようなところでは、学校のようにまとまった大きな土地はえにくいし、また地価玉尚く、とうてい取得は困難である。
現に、磯子駅前に、容研制の出来る以前に、住宅公団が高司住宅を建てたが、これがひじ上うに高容積になるために、地区の学校では収容しきれない。そこで一階に予定していた商業施設をやめてもらい、安く市に譲ってもらって一階部分を一~三年までの低学年用教室にあててみた。いろいろ問題はあるが、高容積とはそうした学校の必要性を意味することを、示しておきたかった。高容積にはしたい、学校はゆっくりとるというわけにはゆかないのである。ヨーロッパの都市では、このような住宅と併用の学校も多い。
また、同じく磯子で高川マンションが複数同時に建つ計画があり。容積制以前ではあったが、なんども交渉の結果、協定をむすび、容積を制限してもらい、小さいながらもこの住宅群に見合う小学校用地を、無償提供してもらった。こうした交渉は長く時間とエネルギーを要する。そうした時期に容積制が生まれたのである。これを活用しない手はない。ところが磯子駅前のようなところは、駅前の広い埋立地であって、用途地域上は商業施設や業務施設があってもよく、商業地域に指定される。そうすると容積は一番低くても、四〇〇%になる。
不動産業者としては、目いっぱい、マンションを建てるだろうが、これでは同じような問題がおきる。それにマンションを建てたい人びとは、四〇〇よりは五〇〇、五〇〇よりは六〇〇%を希望して、圧力をかけてくるであろう。こうした情勢を踏まえて考案したのが、用途別容積制である。もともと商業地域の容積は、商業、業務施設を予定して、高く定めてある。これが住宅となるなら、そんなに高い容積である必要がない。住居環境としてはぎりぎりの環境である二〇〇%を上限にしてよい。現に横浜の住居地域では、二〇〇%を上限としている。
2015年10月10日土曜日
2015年9月10日木曜日
園内道路の蓋がけ工事
世論から大きな支持を得た緩傾斜護岸は、以後、隅田川の護岸方針になり、現在進められている「水辺のテラス構想」につながっている。当初、チマチマした箱庭のようにつくられていたテラスも、最近では土木空間にふさわしいゆったりした空間デザインに変わっている。しかしよい面ばかりではない。隅田公園といい垂直護岸といい、何かの事業がおこなわれる度に隅田川の川幅は狭められてきた。いままた緩傾斜護岸、水辺のプロムナードといわれながら、隅田川の川幅は狭められている。両岸に高層の建物が建ち並ぶとともに、隅田川のもっていた空間の広さや雄大さが失われてきている。
桜橋の墨田区側の快では、アプローチを遮断していた園内道路の蓋がけ工事がなされ、橋と隅田公園とが一体的に利用できるようになった。考え方は評価できるが、すぐ上には高架道路が走り、頭上がおさえつけられるような感じである。いっそのこと高架道路を地下化する方が、二一世紀に大きな財産を残せるのではないかと思う。全部は無理としても、吾妻橋の快から隅田公園部分までは地下化したいものだ。一〇年間四三〇兆円の公共事業費は、有意義に使ってもらいたいと思う。今回の蓋がけ工事はその布石と考えたい。
山下公園も、一見したところ大きく変わった。まずそれは公園内を通る臨港貨物線の高架鉄道である。道路と鉄道と機能は違うが、隅田・山下両公園ともに高架構造物が戦後つくられたのである。しかし臨港貨物線の方が望みがある。横浜博覧会のときに一時利用されたが、現在は廃線になっているので、撤去される日も近いのではなかろうか。
海側部分も大きく変えられた。公園の四分の一の地先が、埋め立てられ、港の眺望が大きく失われた。それでも公園の面積は昔と同じである。一時期公園の東側は下水道局のポンプ場になっていたが、現在は地下化され、地上部は駐車場になっている。その上を公園がおおい、平面的な公園に立面的な変化をもたせている。
配置計画で大きく変わっだのは、ボート溜りをふくむ東半分であり、西半分は当初の配置形態かほぼそのまま残されている。海上からもアプローチできた魅力的な公園は。今もなおその痕跡をとどめ、バルコニーは健在である。しかし残っているのは二力所だけ。東側のバルコニーは、地先部分の埋め立てとともに陸続きにされてしまい、残された縁石だけががっての存在を物語っている。
もうひとつの特徴であったボート溜りは、戦後埋め立てられ、現在は周りより一段低いシングーガーデン(沈床花壇)に変えられてしまった。中央の噴水の位置は変わらぬが、設備は更新され、姉妹都市のサンディエゴから贈られた「水の守護神」の石像がまん中に飾られている。うれしかったのは、噴水の両側の大パーゴラが健在だったことだ。しかもスクラッチータイルの貼られた柱や、煉瓦の敷き詰められた路面も、昔のままなのである。
桜橋の墨田区側の快では、アプローチを遮断していた園内道路の蓋がけ工事がなされ、橋と隅田公園とが一体的に利用できるようになった。考え方は評価できるが、すぐ上には高架道路が走り、頭上がおさえつけられるような感じである。いっそのこと高架道路を地下化する方が、二一世紀に大きな財産を残せるのではないかと思う。全部は無理としても、吾妻橋の快から隅田公園部分までは地下化したいものだ。一〇年間四三〇兆円の公共事業費は、有意義に使ってもらいたいと思う。今回の蓋がけ工事はその布石と考えたい。
山下公園も、一見したところ大きく変わった。まずそれは公園内を通る臨港貨物線の高架鉄道である。道路と鉄道と機能は違うが、隅田・山下両公園ともに高架構造物が戦後つくられたのである。しかし臨港貨物線の方が望みがある。横浜博覧会のときに一時利用されたが、現在は廃線になっているので、撤去される日も近いのではなかろうか。
海側部分も大きく変えられた。公園の四分の一の地先が、埋め立てられ、港の眺望が大きく失われた。それでも公園の面積は昔と同じである。一時期公園の東側は下水道局のポンプ場になっていたが、現在は地下化され、地上部は駐車場になっている。その上を公園がおおい、平面的な公園に立面的な変化をもたせている。
配置計画で大きく変わっだのは、ボート溜りをふくむ東半分であり、西半分は当初の配置形態かほぼそのまま残されている。海上からもアプローチできた魅力的な公園は。今もなおその痕跡をとどめ、バルコニーは健在である。しかし残っているのは二力所だけ。東側のバルコニーは、地先部分の埋め立てとともに陸続きにされてしまい、残された縁石だけががっての存在を物語っている。
もうひとつの特徴であったボート溜りは、戦後埋め立てられ、現在は周りより一段低いシングーガーデン(沈床花壇)に変えられてしまった。中央の噴水の位置は変わらぬが、設備は更新され、姉妹都市のサンディエゴから贈られた「水の守護神」の石像がまん中に飾られている。うれしかったのは、噴水の両側の大パーゴラが健在だったことだ。しかもスクラッチータイルの貼られた柱や、煉瓦の敷き詰められた路面も、昔のままなのである。
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