「ニュールンベルクの倫理綱領」は、第二次世界大戦中にドイツのナチスが行なった非人道的な人体実験によってユダヤ人たちが大量虐殺された事件の反省に立って、このような非人道的な人体実験が二度と行なわれないようにと、ニュールンベルク国際軍事裁判(一九四五一四六年)がその経験を生かして作成したものである。
「ニュールンベルクの倫理綱領」の第一条の冒頭には、「医学的研究においては、その被験者の自発的同意が本質的に絶対に必要である」と宣言されている。そして「医学的研究の対象とされている人から確定的な同意を受理する前に、研究の性質、期間、目的、実施方法や手段、被験者となったために起こりうると考えられるすべての不自由さや危険、健康や人格に対する影響について、医学的研究の対象とされている人は、知らされる必要がある」などと明記してある。
「ニュールンベルクの倫理綱領」は、医学的研究における被験者の人権保護を対象としたものであるが、同様な倫理的原則が、その後、診療を受ける患者や、新しい医療技術や治療法などの研究のために治療を兼ねて行なう臨床研究や、患者自身の病気の治療とは関係のない臨床研究の対象となる患者にも適用されていったのである。今から振り返っても、この倫理綱領はイッフォームドーコンセントの手本としては最適なものであったといえよう。
一九四八年には世界人権宣言が、一九六四年には第十八回世界医師会総会で「ヘルシンキ宣言(一九六四年)」が採択された。一九六六年にはアメリカ医師会から「臨床実験に対する倫理上のガイドライン」が出され、同年初めてアメリカ連邦政府は、政府から研究助成金を受けているヒトを対象として実施する研究はすべて「施設内研究審査委員会」(Institutional Review Board =IRB)によって、政府の定めた倫理基準ならびに法的規制に抵触しないことにつき審査されることを義務づけた。
一九七一年に、アメリカ連邦政府は、最初の公式なガイドラインとして「ヒトを対象とした実験に関するアメリカ合衆国ガイドライン」を制定、公布した。一九七三年には、アメリカ病院協会が、とくに、患者が必要な情報を医師から受ける権利とインフォームドーコンセントを与える権利など、患者の人権を明確にした「患者の権利章典に関するアメリカ病院協会声明」を出した。
2014年9月10日水曜日
2014年8月14日木曜日
小泉純一郎とベルルスコーニの違い
ここで長期政権を維持した、この二人のカリスマ的首相が残した業績の違いを比較するのは、重要なことだと思う。なぜなら、従来からあった疑問ではなく、今では新しい質問に変えなければならないからである。つまり「なぜ、日本とイタリアは、類似しているのか」ではなく、「なぜ、日本は成功し、イタリアは失敗したのか」である。
近年の日本における経済成長の成果を、すべて小泉元首相の功績に帰すことには賛成できない。しかし小泉氏は、官公庁の役割について斬新な改革を行ったこと、さらに一九九〇年代後半に、橋本政権が導入した金融改革や規制緩和を適切に遂行したことで成功を見ている。それに対しベルルスコー一二氏は、二〇〇一年から二〇〇六年の在任中、一つしか成功していない。それは、イタリアの労働市場を自由化し、労働者を短期にわたり安く臨時雇用することだった。日本が行った労働改革と類似しているが、彼は、失業率をわずかしか改善することができなかったのである。
それ以外は、失敗に帰している。ときには強力な利益団体に反対されたことがあったが、多くはイタリアの国家的繁栄のためでなく、自己の繁栄、なかでも彼が所有する巨大なメディア事業を維持することに、主軸を置いていたからだ。さらにベルルスコーニ氏は、イタリアの検察官から詐欺や賄賂、その他の犯罪で訴えられるのを避けようともしていた。
では、なぜ日本が政治や経済上の困難を克服したのに、イタリアは依然として停滞しているのだろうか。それはイタリア人が、気力や起業家精神に欠けているからではない。あるいは美術館の展示品に見られるような、美食や美酒をたしなみながら人生を享楽し、観光客を歓迎するからでもない。それ以外の事情があるのだ。
その答えの一つは、イタリアには深刻な政治的対立があるのに対し、日本の社会は融和していることである。日本の政治家には、しばし失望するような腐敗した劇的場面が見られることが多いが、イデオロギー上では深刻な対立はないようだ。むしろ日本の主要政党は、事実上お互いにきわめて類似しているのだ。過去、五~十年間、見せかけのパフォーマンスや演技が行われたが、実際は改革が必要であることについて、広く合意が見られたのである。
近年の日本における経済成長の成果を、すべて小泉元首相の功績に帰すことには賛成できない。しかし小泉氏は、官公庁の役割について斬新な改革を行ったこと、さらに一九九〇年代後半に、橋本政権が導入した金融改革や規制緩和を適切に遂行したことで成功を見ている。それに対しベルルスコー一二氏は、二〇〇一年から二〇〇六年の在任中、一つしか成功していない。それは、イタリアの労働市場を自由化し、労働者を短期にわたり安く臨時雇用することだった。日本が行った労働改革と類似しているが、彼は、失業率をわずかしか改善することができなかったのである。
それ以外は、失敗に帰している。ときには強力な利益団体に反対されたことがあったが、多くはイタリアの国家的繁栄のためでなく、自己の繁栄、なかでも彼が所有する巨大なメディア事業を維持することに、主軸を置いていたからだ。さらにベルルスコーニ氏は、イタリアの検察官から詐欺や賄賂、その他の犯罪で訴えられるのを避けようともしていた。
では、なぜ日本が政治や経済上の困難を克服したのに、イタリアは依然として停滞しているのだろうか。それはイタリア人が、気力や起業家精神に欠けているからではない。あるいは美術館の展示品に見られるような、美食や美酒をたしなみながら人生を享楽し、観光客を歓迎するからでもない。それ以外の事情があるのだ。
その答えの一つは、イタリアには深刻な政治的対立があるのに対し、日本の社会は融和していることである。日本の政治家には、しばし失望するような腐敗した劇的場面が見られることが多いが、イデオロギー上では深刻な対立はないようだ。むしろ日本の主要政党は、事実上お互いにきわめて類似しているのだ。過去、五~十年間、見せかけのパフォーマンスや演技が行われたが、実際は改革が必要であることについて、広く合意が見られたのである。
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